リンク行為

昨日は光の人と夕食.アンテナ*の話とか.
*指定されたWebページリスト(主に日記・ニュースなど)を巡回し,更新時刻順に並べ替えてWeb上のリンク集として表示するシステム
アンカータグはWebページ間を繋ぐ構造に過ぎないので,かえってその使い方を意識させられる.せめて辞書的な意味など定義されていれば良いのだが,その意味は文脈に酷く依存している.例えば,A氏がB氏のページを参照するアンカータグを記述しただけではA氏がB氏のことを好きか嫌いか判らない.そもそも,そんな風に記述者の深い意図までを想像してしまいがちなところが用法の世界である.(アンカータグはただのSyntaxであるが,リンクは Pragmaticsである,と言い換えてもいい.) リンク行為という言い方もそれなりに通りがいいらしい
私は人のWebページへリンクを張る際,リンクページとアンテナとを使い分ける.リンクページには長い目で縁を持ちたい人を載せる.アンテナのほうは半ば挨拶代わりでお友達から始めましょう,という具合である.そのため,アンテナのほうの登録サイトは新しい人に会ったり会わなくなったりでころころと変わる.こうしたリンクページの文脈というのはけして私一人で作り上げたものではなく,私のリンク先の人々との間で暗黙的に了解されていったものであるように思う.
日付や時刻に依存した内容の多い日記サイトではアンテナへの登録が喜ばれるように思う.しかし,かつてイラストを発表しているページをアンテナに登録したとき,アンテナは勘弁してほしいと先方から連絡を受けたことがあった.自分が日記を書くようになって忘れていたが,最新性を求めない類の絵や物語コンテンツの場合は,更新に関わらず何度も見に行くし,見に来てほしい.そういうことがあって,絵のリンクページをまた別に作成した.
Trackbackのpingを送ることのドキドキ感について前に書いたが,リンク行為ももちろん,どんな風に思われるかな,なんて,リンク先の人のことを意識してしまう助平なリンク好意である.落ち込んでるときにはリンク厚意を受けることもある.
リンクのもっといやらしい話をすると,相手に好意を寄せて相手のことを暗に言及しているのにリンクを張るのは恥ずかしくて出来ないということがある.アンカータグの存在しない世界ではそれは単なる恥じらいであるが,アンカータグの存在する世界では,あえてリンクを張らないことがむっつり助平であるように思えて二重に恥らってしまう.かつて,ハイパーリンクなんか滅びてしまえ,と言ったことがあるが,それはこうした人情の機微のわずらわしさ故である.
なお余談ではあるが,ハイパーリンクのSemanticsを記述する手法としては,Xlink(XML Linking Language)がある.
<myarc
xlink:type=”arc”
xlink:title=”My Love”
xlink:from=”me”
xlink:to=”you”
xlink:arcrole=”lovers”
xlink:show=”embed”
xlink:actuate=”onLoad”/>
こういう恥ずかしいことが書けるってのは,やはりよく出来た仕様である.
(明示的な意味を記述するにこれほど相応しくない内容もないのだが.)